色々なことがあったような気がします。
それが何かは、もう曖昧で、どうでもいいことのようにも思えます。
相変わらずの日々を続け、同じことで繰り返し悩んでいます
母が疲れたと言って、どこか一人で旅行に行きたいと、家から離れたいと言いました
父が中途半端にお金を残していったから、母の姉がお金を貸してと言ってくるんだと。
あまりにも早すぎる死というものが
1年経った今、憎しみに変わるのでしょうか。
どこにも私たち二人を受け入れてくれる土地はないのでしょうか。
周りの全ての人間の言動や行動が怖い
窓の外から聞こえる雑音がやけにうるさくて仕方がない
生きてるなんてどうせくだらない、絶望するくらいなら死んじまえ
その言葉がさっきからリピートされています
寝転んでみても、椅子に座ってみても
どうやら考えはまとまらないみたいです
死んでいいはずがない
でも生きていてもどうしようもない気もする
画面越しの人に怯えて、親戚にさえ怯えて
かと思えば何でも出来る気がする日もある
躁鬱でしょうか
そんな症状はありませんが。
身近で人を亡くしていても
死にたいと思う私は、酷い人間だと思います
もうこんなブログを見てくれている人はいないと思ってました
人をまっすぐ好きになれる事が、私にはすごく羨ましくて妬んでしまいます
ごめんね。
死にたいって言ってしまったら
やっぱり相手を傷つけるんでしょうか
それを言わないでと言われたら、どこに吐き出せばいいというのですか
こんなにも長い間、死にたいという思いに囚われて、前に進めない私は
やっぱり普通の人って言われる人たちとはかけ離れているように感じます
自分勝手な思い込みと
被害妄想に過ぎないかもしれません
それを払拭するだけの力は、ありません
あまりにも、死ぬということに対して力を注ぎすぎたのかもしれません
やっぱり、入院したいです
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