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塵。

堕ちてますが
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10.07.17:18

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05.03.22:17

めまぐるしく変わる毎日

コメントありがとうございます。

父が亡くなってからというもの、大体一日一回は、母が泣いています。
あまりにも急すぎる『死』に、戸惑っているのでしょう。
私は、実感がわかなくて、未だに父がドアの鍵を開けて帰ってくるのだと想っています。
母と父とで違う、鍵を開ける音。

もうお茶をついであげるのも、背中をかいてあげることも出来ないなんて、どうしたら信じられるのでしょうか。

でも、こうやって後悔して、ぐずってる私を父がみたら、怒ります。

何かを書こうとしたけれど、、、
ごめんなさい。

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04.26.21:19

安らかな寝顔

4月25日、急性心臓病?で父が亡くなりました。
今日はお通夜です。
合間を縫ってかいてます。

ここから、関西弁+父のことをパパと呼びます。
私は昔から、パパとしか呼んでいません。
パパはパチンコが大好きで、でもパチンコに溺れることはしませんでした。
お母さんも、パチするので、毎週水曜日になると、パパの透析が終わるとお母さんと合流し、パチンコ屋へ向かいます。
25日もそうやった。
駐車場で止まるとき、急にだらんとなって、後ろに座ってたお母さんがブレーキを踏み、すぐに救急車で病院に運ばれました。
着いたころはもう、瞳孔拡大、心配停止状態。
その日、なくなりました。

パパと対面してみると、眠ってるような顔で、すごく安らかで。
実感がわきません。

今日、パパを棺おけにいれるとき、パパはよく私に背中かいてとたのんでいたことから、愛用のブラシを入れました。
パパが大好きだったパチンコの雑誌も一緒に。
パパの顔は、少し笑っていました。

俺はもう大丈夫なんや

っていう風に。

私にとってパパは怒鳴ると怖いし、正直近寄りがたかった。
でも、私が学校に行かなくなったことを知ったパパは、学校にきれました。

塾で、泣いて帰ったときだって守ってくれた。
それから、パパの笑顔を見るのが私の喜びやった。
透析してて、最近は血圧も低くて、めっちゃ心配しながらも、
『せめて私が20歳になるまでは・・・』
なんて想ってた。
パパは自分の意思を貫く人やった。
しんどいのに、働いてくれてた。
なのに、もう、居ない。

私にとったら、めっちゃ尊敬してて、パパがほんまにお母さんよりも好きなくらいやった。
怒られることも、めっさあったし、でも、心底憎めなかった。

バイトしだしたらケータイ代だけでも、自分で払う

ってゆうたら、あんたが稼いだお金なんやから、あんたの好きなように使いなさいってゆうてくれた

中学のとき、カラオケ連れてってもらったとき、『東京』って歌で泣いた。

『雪の華』と『一人ジェンガ』が好きやった

いとこの結婚式のとき、親戚に、貴方の娘さんもいつかはなぁ・・ってゆわれやった途端、パパが泣いた

パパが泣くと私も泣いてしまった

パパはもう二度と私には怒ってくれなければ、一緒に笑うこともない。

いっぱい書きたいことあったのに、でてこない

明日は
別れの儀式

04.24.05:34

声からでた涙

久々に病院に行きました。
久しぶりの外は、なんだか煩かった。
風の音さえも煩くて、頭痛がした。
安定剤を飲んだものの、病院に着いてからキレた。
母が私に話す態度が苛ついた。
うざそうに、面倒くさそうにしゃべる。
兎に角怒鳴り倒して、過去の事まで引っ張りだして、責めた。
でもそれと同時に、私の言葉を私に言っているようで、大声で怒鳴りながら泣いた。
何もかもに、自身を失っていって、私には誇れるものなど何もなくて。
先生に、
「私は病気なんかじゃないのに、何で薬のまんなあかんの」
って聞いた。

「病気じゃないけど、感情を抑えるために」

その言葉を聞いたとき、何かが歪んだ錯覚を感じた。
きっと、私の感情。

去年には『境界性人格障害』といわれたのに、裁判の前は『ADHD』に変わってて、遂に私は『病気』ではないそうだ。

じゃあ、私は一体何と闘ってきたの?
じゃあ、何故私はこんなにも不安定なの?
じゃあ何故、働けないの?
何故眠れないの?
何故血を流すの?

全ての事に納得がいかなくて、今までの事が無意味に思えてきて、苦しい。
私は架空の『病気』に振り回されてたの?
総て私の妄想だったというの?

もう、刃物を自分にむけても意味がない。
薬を飲んだって変わらない。

あっさりと答えはでてしまった。
私は私に甘えてきただけなんだと。

何かを喪失したみたい。
『病気』が私の生きる糧だった。
何かに闘ってるからこそ、笑えた。

でも、総て壊れてしまった。

ただの気休めを、こんなにも長い間続けてきたんだ。
涙が出そうでも、これは何に対する涙なの?

「病院を変えたほうがいい」だなんて、何故先生の貴方が言うの?

私の生きてゆく理由は、死んでしまった。

04.22.01:44

ただ一つの矛盾点

友達と想ってる人たちに、おめでとうと言われないのは、なんだか辛かった。
きっとその人にはその人なりの生活があって、私のことをいちいち構ってる余裕はないんだろう。
そういう風に片付けるのが、何だか辛い。
去年の今頃は違ってて、あの頃はまだ笑っていられて、今と全然違いすぎるのが、きっと辛いだけ。
進もうとしないのは、私だけなんだと気づかされるのをずっと恐れていたけれど、それはもう自分で気づいていた。
だから認めたくなかった。
『今』しか考えてないから、こんな結果になったんだと改めて想うのに、まだ私の考えはまとまらない。
どうしたら、私は進めるのかなんて、もう考えすぎるほど考えているはずなのに。
現状打破が出来ない私は、存在してていいのだろうか?
全てのことが、無駄で気休めだと完璧に思い込むまでに、私は私に何をしてあげられるだろう。
他人に、何かをするのとはまた違う。
『今』に混乱するばかりで、現状把握さえ、出来ていない。

04.20.13:32

過ぎ去った誕生日

昨日誕生日でした。
複合機を買ってもらいましたが、ケーキはなかったです。
私は兎に角、印刷できるのなら何でもよかったのですが、私がプリンタをみているのに、親は複合機をみてて買うなら複合機にしろ的なオーラが漂ってました。
18日に買って、誕生日の19日に片付けして、今日やっと設置しました。
キャノンです。
何気に綺麗なのでホッとしましたが、でかすぎます。
台からはみでてます。
大丈夫かな・・・

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