4月25日、急性心臓病?で父が亡くなりました。
今日はお通夜です。
合間を縫ってかいてます。
ここから、関西弁+父のことをパパと呼びます。
私は昔から、パパとしか呼んでいません。
パパはパチンコが大好きで、でもパチンコに溺れることはしませんでした。
お母さんも、パチするので、毎週水曜日になると、パパの透析が終わるとお母さんと合流し、パチンコ屋へ向かいます。
25日もそうやった。
駐車場で止まるとき、急にだらんとなって、後ろに座ってたお母さんがブレーキを踏み、すぐに救急車で病院に運ばれました。
着いたころはもう、瞳孔拡大、心配停止状態。
その日、なくなりました。
パパと対面してみると、眠ってるような顔で、すごく安らかで。
実感がわきません。
今日、パパを棺おけにいれるとき、パパはよく私に背中かいてとたのんでいたことから、愛用のブラシを入れました。
パパが大好きだったパチンコの雑誌も一緒に。
パパの顔は、少し笑っていました。
俺はもう大丈夫なんや
っていう風に。
私にとってパパは怒鳴ると怖いし、正直近寄りがたかった。
でも、私が学校に行かなくなったことを知ったパパは、学校にきれました。
塾で、泣いて帰ったときだって守ってくれた。
それから、パパの笑顔を見るのが私の喜びやった。
透析してて、最近は血圧も低くて、めっちゃ心配しながらも、
『せめて私が20歳になるまでは・・・』
なんて想ってた。
パパは自分の意思を貫く人やった。
しんどいのに、働いてくれてた。
なのに、もう、居ない。
私にとったら、めっちゃ尊敬してて、パパがほんまにお母さんよりも好きなくらいやった。
怒られることも、めっさあったし、でも、心底憎めなかった。
バイトしだしたらケータイ代だけでも、自分で払う
ってゆうたら、あんたが稼いだお金なんやから、あんたの好きなように使いなさいってゆうてくれた
中学のとき、カラオケ連れてってもらったとき、『東京』って歌で泣いた。
『雪の華』と『一人ジェンガ』が好きやった
いとこの結婚式のとき、親戚に、貴方の娘さんもいつかはなぁ・・ってゆわれやった途端、パパが泣いた
パパが泣くと私も泣いてしまった
パパはもう二度と私には怒ってくれなければ、一緒に笑うこともない。
いっぱい書きたいことあったのに、でてこない
明日は
別れの儀式