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塵。

堕ちてますが
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10.07.15:28

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05.13.03:49

些細なことで

些細な不安に押しつぶされそうな私がいる、
何が原因かなんてわからない。

ただ
大勢の中にいる私って、要らないような気がする。
元彼のコイバナなんてのも、聞きたくない。

じゃあその中から抜ければいいのに。
眠れないことに理由をつけて、私を傷つける世界にいる。
逃げてもどうせ気にしてしまうなら、逃げたくない。
逃げたってどうせ、相手を責めてしまうだけ。
それは些細なことなんだけれど。

私はまだ何も知らないのに、この世の全てを知ってしまったような気になるのはなんでだろう。

私が何処に流されるのかは結局、私しか決めれない。

私は何を選んで、何処へ行くんだろう。

疲れても諦めてはいけない理由を、父は教えてくれた気がする。

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05.11.02:09

逃げ出すわけじゃない

私が奈良を離れるのは、多分逃げじゃない。
嫌な思い出も、楽しかった思い出も、全部此処で起こったことだけれど。
それを今更捨てるのは、寂しいし、辛い。
この部屋も、父がいた部屋も、何もかも空っぽになることを想像すると、怖い。
離れたくないけれど、新しい出発には、必要かもしれない。
慣れ親しんだ景色もそのうち忘れてゆくのかもしれない。
毎年みた桜も、もうみなくなるかもしれない。

けれど、それでいいんだと思う。

きっかけがあるとしたら、きっと今だから。
私にはつくづく東京に縁がないなと思う。
今年大学に入った子も、ほかのいろんな友達も、東京にいるのにな。
いつか、自分の力で、行きたい。

福岡に行ったら、私の体はもつんだろうか。
喘息が心配。

早く離れたい気持ちと、離れたくない気持ちが揺れ動くけれど。
きっとこれは逃げることではないはずだから。

05.04.20:36

そんなことを言われたって

記憶が確かなら、父を棺おけにいれるときに初めて泣いた。
そのとき、親戚の叔母さんから
「もっと泣いてあげや」
と言われた。

そんなことを言われたって・・・

母が毎日泣いているのに、私が泣いてたら父が怒りそうなんだもの。
隠れて泣こうにも、父が見ていそうで。
それに、私がそうやって泣いてばかりいるのを父はきっと望んでいない。
私が逃げ続けてきたことに、早く向き合ってほしいと想ってるんだと想う。
・・・生きてた頃もそんなことを言っていたから。

でも、まだ認めるには時間がかかるよ。

でもそうやって何時まで逃げるんだろう。
どんなに私が父にお供え物を置いたって、きっと父は喜んでくれないような気がする。
母が、きっと父に心残りがあるとすればそれは私だろうって、言っていたから。

胸が苦しいし、寂しいし、やっぱり薬を頼ってしまうけれど、そこで終わってはいけない。
私は此処から、立ち上がらなくちゃいけない。

05.03.22:17

めまぐるしく変わる毎日

コメントありがとうございます。

父が亡くなってからというもの、大体一日一回は、母が泣いています。
あまりにも急すぎる『死』に、戸惑っているのでしょう。
私は、実感がわかなくて、未だに父がドアの鍵を開けて帰ってくるのだと想っています。
母と父とで違う、鍵を開ける音。

もうお茶をついであげるのも、背中をかいてあげることも出来ないなんて、どうしたら信じられるのでしょうか。

でも、こうやって後悔して、ぐずってる私を父がみたら、怒ります。

何かを書こうとしたけれど、、、
ごめんなさい。

04.26.21:19

安らかな寝顔

4月25日、急性心臓病?で父が亡くなりました。
今日はお通夜です。
合間を縫ってかいてます。

ここから、関西弁+父のことをパパと呼びます。
私は昔から、パパとしか呼んでいません。
パパはパチンコが大好きで、でもパチンコに溺れることはしませんでした。
お母さんも、パチするので、毎週水曜日になると、パパの透析が終わるとお母さんと合流し、パチンコ屋へ向かいます。
25日もそうやった。
駐車場で止まるとき、急にだらんとなって、後ろに座ってたお母さんがブレーキを踏み、すぐに救急車で病院に運ばれました。
着いたころはもう、瞳孔拡大、心配停止状態。
その日、なくなりました。

パパと対面してみると、眠ってるような顔で、すごく安らかで。
実感がわきません。

今日、パパを棺おけにいれるとき、パパはよく私に背中かいてとたのんでいたことから、愛用のブラシを入れました。
パパが大好きだったパチンコの雑誌も一緒に。
パパの顔は、少し笑っていました。

俺はもう大丈夫なんや

っていう風に。

私にとってパパは怒鳴ると怖いし、正直近寄りがたかった。
でも、私が学校に行かなくなったことを知ったパパは、学校にきれました。

塾で、泣いて帰ったときだって守ってくれた。
それから、パパの笑顔を見るのが私の喜びやった。
透析してて、最近は血圧も低くて、めっちゃ心配しながらも、
『せめて私が20歳になるまでは・・・』
なんて想ってた。
パパは自分の意思を貫く人やった。
しんどいのに、働いてくれてた。
なのに、もう、居ない。

私にとったら、めっちゃ尊敬してて、パパがほんまにお母さんよりも好きなくらいやった。
怒られることも、めっさあったし、でも、心底憎めなかった。

バイトしだしたらケータイ代だけでも、自分で払う

ってゆうたら、あんたが稼いだお金なんやから、あんたの好きなように使いなさいってゆうてくれた

中学のとき、カラオケ連れてってもらったとき、『東京』って歌で泣いた。

『雪の華』と『一人ジェンガ』が好きやった

いとこの結婚式のとき、親戚に、貴方の娘さんもいつかはなぁ・・ってゆわれやった途端、パパが泣いた

パパが泣くと私も泣いてしまった

パパはもう二度と私には怒ってくれなければ、一緒に笑うこともない。

いっぱい書きたいことあったのに、でてこない

明日は
別れの儀式